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的を射る?的を得る?当を得る?

「的を得る」という言葉は、実に使い方が難しいです。うっかり人前で「的を得る」とか言うと、それを言うなら「的を射る」でしょ、と注意されること請け合いです。的は「射る」ものであって「得る」ものじゃないよ、というような解説を聞かせてくれる人もよく見かけます。

でも、「的を得る」が「的を射る」の誤用だという説は間違いで、どちらも正しいというのがホントのところかと思います。私は日本語学者では無いので責任は持てませんが、ここここなどを見るとそんな気がします。

語源はどちらも中国の故事にある「正鵠を失する」で、1950年頃から「的を得る」と「的を射る」の両方が使われ始めたらしいです。それが、いわゆる日本語ブームのときに誰かが誤用説を言い出したのがきっかけで、「的を得る」がすっかり悪者になってしまったというのが一番説得力のある説です。「当を得る」という別の意味の言葉があったことも、この誤用説が広まる一因になったと思われます。

まあ、所詮言葉なんていうものは生もので、時代によってコロコロと変わるものです。最近でも「確信犯」「全然」「役不足」・・・などという言葉は、使い方が昔とは違ってきています。日本語にうるさい人は、最近の若者は正しい日本語を知らん、とか何とか言って抵抗したくなるのでしょうが、時代の流れにはなかなか逆らえるものではありません。

ということで、他人の日本語を正そうなんていうのは役不足だと諦めて、確信犯的に誤用しているんじゃなければ全然OKだよというスタンスでいるのが一番いい、というのが的を得た考え方かと思います。